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2004年02月

12種類のレメディで治療する(2)

1932年の冬も、エドワード・バッチのもとにはたくさんの患者が訪れていました。彼はその全員を、認められる心の状態が暗示する単一もしくは複合のレメディを使って、12のフラワーレメディのみで治療しました。

《病気の原因となる12の心理状態》
1.恐れ
2.戦慄
3.心の苦しみ、または心労
4.優柔不断
5.無関心、退屈
6.疑い、または落胆
7.心配性
8.弱気
9.自己不信
10.短気
11.熱中しすぎ
12.プライド、または冷淡

【病苦が癒された人々の例】
(1)ロックローズ、ミムラス投与
  …腹部に悪性の腫瘍が見つかり、強い恐怖心で自殺を考えた40歳の女性(p.150-151)

(2)アグリモニー、チコリー、ロックローズ、クレマチス、セントーリー、ゲンチアナ投与
  …鼠径部が腫れて、高熱と速脈で危険な状態に陥った8歳の少年(p.151-153)

(3)アグリモニー、ミムラス、ゲンチアナ投与
  …リューマチを患い、全身の関節の腫れと痛みに苦しんでいる38歳の男性(p.153-154)

(4)ウォーターバイオレット、スクレランサス、インパチエンス投与
  …リューマチを患い、全身の関節の激痛に苦しんでいる女性(p.154-155)

女性




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「12の癒し手」の完成

1932年の春が巡ってくると、エドワード・バッチはふたたび落ち着かなくなります。しかし、ロンドンに戻って開業して欲しいという友人や患者は増す一方でしたので、彼は2、3ヵ月のあいだ、この街に自分が耐えられるかどうか試してみる決意をしました。

ロンドンの街並み


ウィンポール街に診療室を設けてまもなく、仕事に忙殺されることになりました。そして、街の空気と空間の不足は、彼にはとてもこたえました。騒音と雑踏は、敏感な心と体をひどく傷めつけることになり、彼は健康を崩し、心身ともに苦しめられました。そんな中で、公園の静けさと平和な雰囲気だけが安らぎの場でした。彼は心と体が元気を回復するまで、リージェント公園の木立ちの下で何時間も過ごしました。

公園のベンチ


リージェント公園で過ごしている間に『汝自身を解放せよ』(Free Thyself )という小著を執筆しました。この本は、どうしたら人は直感に従うようになるのか、内なる知識を信頼することによって地上生活の一コマ一コマがいかに導かれ、健康で幸福な人生を築いていけるかを、平易で実践的な文章で説明しました。この本には、彼が発見した薬とその使用法についても書かれています。

ロンドンで2ヵ月を過ごしたのち、彼はもはやこれ以上、街のストレスに耐えることができないと感じ、最後の薬の発見に急き立てられて、ケント州に向けて旅立ち、田舎の空気と自由の中で心身の力を回復しました。

12番目の薬(最後に発見する薬)は、危篤状態、あるいは急性の病に襲われている人々の戦慄感に対処する性質のものでした。ロンドンを発つ少し前に起こったある出来事が、この種の薬が何としても必要であることを、彼の心に刻みつけました。

彼は、急に出血を起こしてパニック状態に陥っている女性の元に呼ばれました。女性は衰弱していて吐血し続けていました。バッチは彼女に近づき、肩に手を置いてこう言いました。「安心しなさい。もうすぐよくなります。横になって眠りなさい。」すると、出血は止まり、その後、3時間ほど眠り、目を覚ますと元気を取り戻していました。バッチはこのようにヒーリングの力がありました。そしてヒーリングと同じように作用するフラワーレメディを探す必要性があると考えていました。

ある日、ケント州ウェスタ―ハム近くの田園地帯を散策しているうちに、彼は、前の年にゲンチアナを見つけた野原に戻ってきました。そこで、ロックローズ(はんにち花)の小さな黄金色のお花に覆われているこの野原を見たとき、彼はこの花が、先日の出血を起こしてパニック状態に陥っていた女性のように、本人やその周囲の人々が恐怖心に駆られて緊急を要するときに役に立つ治療薬となることを知りました。

ロックローズのお花を見つけたことで、『12人の癒し手』(The Twelve Healers)というフラワーレメディを完成させることができました。

ロックローズの花
Rock Rose


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2つのフラワーレメディ

冬も終わりに近づき、1931年の春が間近に迫ってくると、エドワード・バッチは落ち着かなくなってきました。あと2〜3残っているお花を発見して、12種類のフラワーレメディを完成させるために、しばらく診療から離れなければならないと感じたのでした。そして3月も終わろうとするある日、バッチは急にウェールズに戻る決意をし、その朝早くにクローマーを発ちました。そしてウェールズでは、途中で出会う羊飼いに話しかけたり、今後しなければならない仕事や発見しなければならない薬草のことを考えながら、山々を放浪して過ごしました。

田舎の風景


ウェールズの山々を放浪したあと、ロンドンに戻り、その後、サセックス州に旅立ちました。そしてサセックス州のある場所で、川の中に生い茂るウォーター・バイオレットの花を見つけました。この植物は豊富に自生し、その広がったシダ状の葉がか細い茎を持ち上げて、淡い藤色の花を水面に浮き上がらせていました。彼はこの花が自分の探し求めている薬となることを花であることが直感的にわかりました。

彼はさっそく、太陽法を用いて花から薬効成分を抽出し、この薬が、普段から、あるいは何かがあって苦しいときも一人で過ごし、静かな中で困難に耐えることを好む、超然たるタイプの人への薬になることを証明しました。

ウォーターバイオレットの花
Water Violet


サセックス州からテームズ峡谷に旅してきた彼は、ここでバークシャー州ウォリンフォードから3、4キロほど離れた川辺の村に数週間滞在し、平底船に乗って水生植物を調査したり、チルタン・ヒルズや田舎道を散策したりして、暑い夏の日々を過ごしました。

彼はその並外れた内なる知識から、自分の探し求めている残る薬の一つが秋に咲くゲンチアナ(りんどう)の花に含まれていること、またそれが、すぐに落胆する人の疑い深い心理に治療効果を持つことも知りました。まだ7月で、ゲンチアナの花が咲くには早すぎましたが、オックスフォードシャー州、エウィレム村近くの丘の上で葉を広げたこの植物を見つけた彼は、これまで沢山の薬を製造してきたクローマーでそれを見つけようと戻りましたが、何キロ歩いても見つかりませんでした。ようやく9月末になって、ケント州ピルグリム街道に近い丘陵で開花したこの草を見つけ、ただちに花から薬を製造しました。

ゲンチアナの花
Gentian


このときまでに、バッチは、12種類の薬のうち11種類までを発見していましたが、夏も終わりに近づいた今、年内に12番目の薬を発見することはないと判断しました。彼は冬に備えてクローマーに戻り、患者の治療に多忙な日々を送り、フラワーレメディからますます成果を上げることになります。


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12種類のレメディで治療する(1)

1930年の冬、エドワード・バッチのもとにはたくさんの患者が訪れていました。近くに住んでいる人だけでなく遠隔地からも多くの人が詰めかけ、ひとりひとりをフラワーレメディで治療し、素晴らしい成果を収めました。この成果によって、12のフラワーレメディのほか、まだ発見されていないものを見つければ、新しくより優れた医療を樹立するための今の仕事が大きく前進するに違いないと彼は確信しました。

彼のもとを訪れる人々は、多くの異なった症状で苦しんでいましたが、どのような症状も完全に治癒し、患者が生きることにふたたび価値を見いだすほどに好転しました。

《病気の原因となる12の心理状態》
1.恐れ
2.戦慄
3.心の苦しみ、または心労
4.優柔不断
5.無関心、退屈
6.疑い、または落胆
7.心配性
8.弱気
9.自己不信
10.短気
11.熱中しすぎ
12.プライド、または冷淡

【病苦が癒された人々の例】
(1)アグリモニー投与
  …発作とアルコール中毒に苦しむ45歳の女性(p.114-116)

(2)アグリモニー投与
  …生まれつきの喘息と発作に苦しむ8歳の少年(p.116)

(3)アグリモニー投与
  …自動車事故で左肩に麻痺を負った40歳の男性(p.116-117)

この3つのケースはそれぞれ、アルコール中毒、喘息、麻痺と、どれも異なった症状を訴えていましたが、三人とも同じレメディを必要としていました。それは、三人とも性格が朗らかで、苦しいことによく耐え、自分の心配事や苦しみを人に見せまいと明るく振る舞っていたからです。

この頃、バッチはこれ以外にもたくさんの素晴らしい治療成果を収め、病気治療の指標となるものは肉体の健康状態にあるのではなく、本人の心理状態のみにあるという理論を決定的に証明しました。


(4)チコリー投与
  …消化不良と心臓発作に苦しむ70歳の女性(p.118-119)

(5)チコリー投与
  …難聴とカタル(粘膜で起こる滲出性の炎症)で苦しむ38歳の女性(p.119-120)

(6)バーべインとインパチエンス投与
  …転倒して踝(くるぶし)が腫れた50歳の男性(p.120-121)

(7)バーベイン投与
  …首と肩に慢性のリューマチを患う64歳の男性(p.121)

(8)クレマチス投与
  …嗜眠性脳炎の後遺症に苦しむ40歳の女性(p.121-123)

(9)クレマチス投与
  …甲状腺嚢腫の再発に苦しむ18歳の女性(p.123)

(10)クレマチス投与
  …長いあいだ喘息に苦しむ36歳の女性(p.124)

(2)の8歳の少年と、(10)の36歳の女性は、同じ「喘息」という症状で苦しんでいましたが、8歳の少年はアグリモニーで、36歳の女性はクレマチスで回復しました。なぜなら、前者は人に心配させないよう明るく振る舞うよく気のつくタイプで、後者は夢想に耽り現実に無関心なタイプだったからです。


(11)セラトー投与
  …全身、首筋、頭に定期的に出る吹き出物に苦しむ女性(p.124-125)

(12)セントーリー投与
  …鼻血を出しやすく弱々しい9歳の少女(p.125-126)

(13)セントーリー投与
  …筋肉に力が入らず顔色の悪い無気力な22歳の男性(p.126-127)

(14)セントーリー投与
  …顔が青白く虚弱ですぐに疲れてしまう11歳の少女(p.127)

(15)スクレランサス投与
  …ひどい胃痛に悩まされ吐いてばかりいた漁師の男性(p.127-128)

(16)スクレランサスの投与
  …神経性胃炎に苦しみ精神が不安定で自殺願望のある55歳の男性(p.128-129)

ここに紹介した以外にもたくさんの素晴らしい治療成果を収め、病気治療の指標となるものは肉体の健康状態にあるのではなく、本人の心理状態のみにあるという理論を決定的に証明することができました。

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フラワーレメディの作り方(太陽法)

アグリモニー、チコリー、バーべインという3つの花を見つけたバッチは、その年の前半に開発していた方法で、これらを相乗させることにしました。

青空

バッチは、太陽の光と熱を得るため、空に雲ひとつない真夏の晴天の日を選びました。まず最初に小さなガラス製のボウルを3つ取り出し、きれいな水で一杯にし、花を咲かせている植物の近くに置きました。1つ目のボウルには近くでもっとも完全な花を開かせているチコリーを選び、花を注意深く摘んで、水面全体が覆われるまで花を浮かべました。2つ目のボウルにはアグリモニーの小さな花を浮かべ、3つ目のボウルにはバーべインの花を浮かべました。ボウルはそのまま4時間ほど日射しに当て、花が萎れてくるまで放置します。これは薬効成分が十分に水の中に伝わったサインとなり、水は磁気的なパワーで充満し、小さな気泡でいっぱいになります。

バッチは、次に、自分の指先が水に触れることのないように注意しながら、ガラス製のスプーンを使って、チコリーの花を水面から除きました。レメディ(薬液)の製造に当たり、できる限り人間の波動を除きたいと思ったからです。

完成した液体は、注ぎ口の付いたガラスビンに詰められました。そして、液体がビンの中程まで入ったところで、液体が腐敗しないように、保存料として同じ分量のブランデーを入れました。そしてコルクの栓を堅く閉め、それぞれのビンにフラワーレメディの名前を書いたラベルを貼りました。

バッチは自分の手に付着したチコリーの液体を完全に落とすために手をよく洗ったあと、次にアグリモニーとバーベインについても同じ方法でレメディを製造しました。これを終えると、彼は作業に使ったボウルとビンをすべて壊しました。お花のエネルギーの影響を考え、新しいフラワーレメディを作る度に、新しいボウルとビンを用意しました。

また、一般の薬品に添加されている精留されたスピリットよりもずっと純粋で自然な触媒と考え、ブランデーをフラワーレメディの保存料に使うのを好みました。


太陽法(sun method)
太陽法


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9つのフラワーレメディ

1930年8月、エドワード・バッチは、あいかわらず、小さな港町に集まってくる沢山の人々の様々なタイプ(性格型)を研究するのに大部分の時間を使っていました。そして、新しいフラワーレメディを見つけようと、朝から晩までクローマー周辺の野原や小道を杖を片手に散策しました。


森林


バッチは、ノーフォークの沼地や川岸から、海岸沿いにさらに北に向かったたブラケニーと塩水沼沢地までの、何十キロ四方にもわたる地域とその植相を調査しました。そして、このような散策のなかで、新しいレメディに必要な薬効成分を含む7つの花を発見します。一つだけ例外はありましたが、どれもクローマーの道ばたや野原に自生しているもので、イングランドの全域に渡って共通に認められるごく一般的な野草の花でした。


バッチが薬効成分を試した最初の花は、アグリモニー(西洋きんみずひき)です。この植物は、イギリスの田舎であれば道端や野原などどこにでもあふれているので、人々はその美しさを気にもとめずに通り過ぎてしまうことでしょう。その小さな花は金色で、同じ色の雄蕊(おしべ)が沢山ついています。花弁がしおれて落ち、種子が熟してくると、細い茎はかぎ状の微毛に覆われたた鈴形の実でいっぱいになります。これらが人の衣類や動物の毛にくっついてあちこちに運ばれていくのです。バッチは、この植物の花が心労の薬になることを発見しました。心労とは、明るい外見の背後に隠れていることの多い、落ち着きのない、苛まれた心の状態です。

アグリモニーの花
01 Agrimony


次に彼が見つけて実験したのは、チコリー(キクニガナ)の鮮やかな青い花で、他人のことを心配しすぎる人の薬になることがわかりました。それは、他人の世話で翻弄される傾向のある人にとても必要な、真の静けさと落ち着きを与えてくれるものです。

チコリーの花
Chicory


チコリーを見つけた2、3日後、今度は、車道沿いの古い石垣の下から顔をのぞかせている小さなバーべイン(くまつづら)の花を見つけました。高さが30センチほどのこの小さな植物は、気づかずに通り過ぎてしまうほど目立たない存在です。沢山に枝分かれする細い茎は淡い藤色で、とても小さなものです。この花は、熱中し過ぎて全身が張り詰めてしまう人の薬になることがわかりました。

バーべインの花
Vervain


アグリモニー、チコリー、バーべインという3つの花を見つけたバッチは、その年の前半に開発していた方法でフラワーレメディを作りました。同じ年、雲一つない晴天の日を選び、町の近辺にたくさん自生しているクレマチスの小さな花の一つ一つを、花のすぐ下のところで摘み、ガラス製のボールに満たした水にいっぱいに浮かべ、四時間ほど太陽に当てて、エッセンスを抽出しました。ツタのように生い茂る植物の花には、花弁が一つもありません。花は雄蕊(おしべ)の群れとそれを囲む四枚から八枚ほどのの萼片(がくへん)で成っています。色は薄いクリーム色がかった緑色です。クレマチスは生垣を伝うようにして生い茂り、夏場に花を一面に咲かせます。クレマチスの花は、無関心でぼんやりした性格の人に効く薬で、バッチは、失神や昏睡状態に陥った人にもこの花が大変な効き目をあらわすことを発見しました。この場合、歯茎、耳の後ろ、手首、手のひらも優しくマッサージすると意識の回復がいっそう速まります。1928年にクレマチスの種子から製造した薬を使ってみて、幻想に浸るボーっとしたタイプの患者にかなり効き目のあることはわかっていましたが、新鮮な花から作ったフラワーエッセンスを使うことによってその効き目はいっそう高まったため、古い薬はすべて捨ててしまいました。

クレマチスの花
09 Clematis


セラトー(るりまつもどき)は、これまで見つけてきた12種類の花の中で唯一、イギリス国内で自生しない植物で、栽培植物としても一般化されてはいませんでした。この植物は知恵の国チベットが原産地です。セラトーは灌木性(丈が低く、幹が発達しない性質)の植物で、開花期になると瑠璃色の花が一面を覆い、赤い茎や葉がほとんど見えなくなってしまいます。バッチはこの花を海辺のとある大きな屋敷の庭で見つけました。あまりの美しさに魅了されて、許可を得て花を少しばかり摘んでみました。セラトーは自己不信に陥っている患者によく効くことがわかりました。

セラトーの花
Cerato


バッチは、野生のセントーリーのピンク色の花からもエッセンスを製造しました。セントーリーは、昔から根が薬用に使われてきた植物ですが、花のもつ治癒力はまったく知られませんでした。セントーリーは軟弱な性格が目立つ人に効くことがわかりました。この薬は、心身に活力と強さをみなぎらせるのです。

セントーリーの花
Centaury


9月も終わりに近づき、日も短くなり、太陽の力も衰え始めていました。バッチはこれ以上の薬草を年内に発見するのは難しいだろうと考えましたが、ある日、収穫後の麦畑で丈夫なスクレランサスの茂っている一画を見つけました。小さな鞘(さや)に包まれた緑色の花をつけるスクレランサスは、穀類の根の間に育ち、数センチの高さにまで伸びます。のちに、か細い茎に重くて大きすぎるように見える種子を形成します。スクレランサスは不決断とその心理状態から結果する身体的後遺症への薬になりました。バッチは次の晴天の日にこの小さな花からフラワーエッセンスを製造しました。スクレランサスはその年に彼が製造した最後の薬になり、バッチはその冬はクローマーに留まって、9つのフラワーレメディで患者の治療に当たる決意をしました。

スクレランサスの花
Scleranthus



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3つのフラワーレメディ

1928年9月、エドワード・バッチ博士は、イギリス各地の土手や清流の端々に自生しているミムラス(みぞほうずき)の黄色い花からエッセンスを抽出し、それを使って、恐怖心が特に目立つ患者をさまざまな病から治癒させるのに大きな効果をあげました。どの患者の場合も、心の奥底に潜む原因〈恐怖心〉が消えるにつれて、身体的な症状もなくなり、健康と幸せな気持ちが回復されました。

ミムラスの花
20 Mimulus 


クレマチス(せんにん草)は、無関心でぼんやりした性格の患者に使って、素晴らしい効き目を表しました。

クレマチスの花
09 Clematis


インパチエンス
(ほうせんか)は、淡い藤色の花だけから製造し、短気でイライラした性格が目立つ患者に使いましたが、結果は予想を上回るほどのものでした。Impatience という言葉には、短気という意味もあることが興味深いです。

インパチエンスの花
18 Impatiens 


この3つのフラワーレメディからは、病気を治療するときの指標となるものは様々な心の状態または気分であり身体的な症状ではないというバッチのこれまでの理論を完全に裏づけるものでした。この方法を使えば、病気の症状がすぐに消えるだけでなく、患者の健康全般が大きく改善され、人生への興味と幸せな気持ちをも増すことができるのです。


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病気の原因と12の心理状態

これまでの医学で使われてきた薬は、病気の症状を和らげることはあっても、その奥に隠れた原因ームード(気分)ーまで取り除くことはありませんでした。そのため、患者は、心身のトラブルを克服するための手助けが得られないままになっていました。病気がなかなか治らずにいる人が多いのはそのためです。

気分の乱れは病気を引き起こします。症状がすぐに収まったとしても、病気を引き起こした「気分」をよく取り除いておかないと、無意識のうちに内臓の各器官や組織に影響を与え、慢性の病気を引き起こすことがあります。しかし原因となった「気分」をよく取り除き、心身の乱れから回復すれば、慢性病や不治の病も消滅します。長期に渡る深刻な病気の場合、ゆっくりとした歩みを取るかも知れませんが、忍耐強く取り組めば必ず反応することになります。この場合、回復したいという願いが常に決定要因となります。

エドワード・バッチは、研究を進めていくにつれて、体の健康は心の状態によってコントロールされ、病気の兆候は、事前に心の状態にはっきり現れてきます。ですから、本人が『本調子ではない』という感じを訴えるときに治療を開始すべきであり、それによって重い病気も阻止できます。

ある性格の人々にいっそう大きく作用するムード(気分)もあったものの、だいだいはすべての性格の人に共通するものです。例えば、恐怖心は、神経が過敏で内向的なタイプの人に共通するものですが、時には外向的なタイプで意志が強く行動が大胆な人も抱くことがあります。

エドワード・バッチは、あらゆる年齢層におけるあらゆるタイプの人々がもつムード(気分)について、12種類の主な状態を分類しました。

〈病気の原因となる12の心理状態〉
1.恐れ 
2.戦慄
3.苦悩
4.優柔不断
5.無関心、退屈
6.懐疑心、落胆 
7.心配症
8.弱気
9.自己不信
10.短気
11.熱中、熱狂
12.プライドが高い、冷淡


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気分を取り除く

これまでの医学で使われてきた薬は、病気の症状を和らげることはあっても、その奥に隠れた原因ームード(気分)ーまで取り除くことはありませんでした。そのため、患者は、心身のトラブルを克服するための手助けが得られないままになっていました。病気がなかなか治らずにいる人が多いのはそのためです。

気分の乱れは病気を引き起こします。症状がすぐに収まったとしても、病気を引き起こした「気分」をよく取り除いておかないと、無意識のうちに内臓の各器官や組織に影響を与え、慢性の病気を引き起こすことがあります。しかし原因となった「気分」をよく取り除き、心身の乱れから回復すれば、慢性病や不治の病も消滅します。長期に渡る深刻な病気の場合、ゆっくりとした歩みを取るかも知れませんが、忍耐強く取り組めば必ず反応することになります。この場合、回復したいという願いが常に決定要因となります。

エドワード・バッチは、研究を進めていくにつれて、体の健康は心の状態によってコントロールされ、体の訴える症状とは関係なく、ムード(気分)やフィーリングが薬の指標になるという結論に達していました。つまり、病気そのものではなく、パーソナリティを治療するというのが新しい薬学体系の原則でした。

男女の会話


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病は気から

1930年の8月、エドワード・バッチは、ロンドンからノーフォーク海岸にあるクローマーという海沿いの町に行きました。そして、翌年の春までクローマーに滞在し、「12人の癒し手」と彼が名づけた12種類のフラワーレメディのほとんどを発見し、薬として調合しました。

クローマー


バッチの中で、新しいヒーリングの手法が、明確な形になっていきました。さまざまなタイプ(性格型)の人々に共通する心の状態、あるいはムード(気分)を分類し、その一つ一つに対応するフラワーレメディを見つけ出すことが、早急に着手すべき仕事であると知りました。

「病気とは、ある心理状態が固化したものであり、患者のタイプやムードを緩和することで、病気は消滅します」と彼は当時、同僚に宛てた手紙に書いています。

クローマーは、小さい町ながらも、人の流れが多く、さまざまなタイプの人々がいました。都会の人や田舎の人、漁夫や農夫、労働者、旅人、老人、若者、お金持ちの人や貧乏な人、このような人々を通して、人間のさまざまな気質を観察することができました。バッチは、海辺や街中を歩き、クローマーの人々に混じることで、日常生活の些細な事柄に彼らがどのような反応をするのか、どのような気質を表わすのかを綿密に調べました。

誰もが、特定のグル―プに属していて、同じグループの人々は、基本的に同じ種類の性格や気質を持っています。

例えば、目の前に泳げそうな海があるとき、気の短い人は一番に飛び込みます。優柔不断な人は泳ぐかどうか迷います。心配性の人は危なくないか確認します。神経質な人は水の温度を計ろうとします。このうように、誰もが自分のタイプに応じて行動します。これと同じことが病気の際にも起こります。例えば風邪をひいたとき、短気、優柔不断、心配性、神経質といった気質によって反応が異なります。健康は気質と関係していることから、病気になったときは、症状とは関係なく、それぞれの気質や気分に合わせ薬が必要とされます。バッチは医学生の頃からこれに気づいていました。そして後に、細菌学者、同種療法医(ホメオパシー医)として、自原ワクチンやノソードで患者を治療する際にそれを実際に確かめることができました。

当時、彼は、同じタイプに属する患者は、どのような病気にかかっていようと、多かれ少なかれ同じ反応を起こすことを確かめていました。例えば、ある人は喘息、またある人は消化不良やリューマチになったとしても、それらの病気の背後には、その人たちのタイプに特徴的な、隠れた原因が存在しているのです。

当初、彼は、腸の毒化作用がこの隠れた原因であり、それを治療すれば患者が苦しんでいるどのような症状をも治療できる、局所的な治療はいっさい不要である、との信念を持っていました。しかし、その後の研究によって、本当の隠れた原因は、その人のタイプやムードであることを確信するようになりました。彼の探し求めていた薬は、このような気分を除くことによって治癒を起こすものでした。

薬というものは、病気になった人が、心配や恐怖心、懐疑心や諦めなどを取り除き、本人のパーソナリティを完全に元気づけるものでなくてはなりません。


海岸を歩く女性


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聖なる知恵への絶対的な信頼

特定の植物の露を初めて試験して間もなくの頃、エドワード・バッチは、海岸沿いの植相を調査するためにイギリスの国内を巡り、最後に海辺の小さな村アベルソクに辿り着きました。

アベルソクの海岸
Abersoch 海岸


この村で、彼は野生の薬効成分を抽出する「太陽法」を完成させ、新しいレメディの紹介となる自著「汝自身を癒せ」( Heal Thyself)の原稿も執筆しました。この本は、健康人と病人のタイプ(性格型)一つ一つについての長年にわたる集中的研究で明らかにされた、人間の性質に関する大いなる知識を含むものであり、病の真の原因と新しい治癒原理を説明するものでした。




この原稿は、毎日、野原のなかに座ったり海水浴のあとに浜辺で日光浴をしているときに書かれ、それを通してあらゆる病人に大いなる希望のメッセージが綴られました。

この本の中に、体の病は、主として肉体的原因によるものではなく、本人の正常な幸福感に干渉する乱れた心の状態、あるいはムードによるものであること、このようなムードが放置されたままになっていると体の器官や組織の働きを乱し、その結果、病気になるということ。そして、マインドは、誰においても精神的、肉体的な状態を絶対的に司るものであることが説かれています。

従って、心配や恐怖、憂鬱といった心の乱れは、平安な気持ちを失わせるだけではなく、神経を通して肉体に伝えられ、各臓器の正常な機能を攪乱し、組織の調子と活力を失わせる結果になるのです。そして、心が平和で幸せな気持ちを回復すれば、体も完全さを回復し、どのような苦痛も自動的に洗い流されるのです。このように、乱れたムードが病気治療の真の指標となるもので、体の不調を起こしている心の乱れを整えるものがフラワーレメディでした。

バッチは、人間には最高の幸せと喜び、そして健康の中に、地上の人生を導き入れるのに必要な知恵と知識がすべて授けられていること、それに気づきさえすればよいのであり、この知恵は直観と本能を通して人に与えられることを確信していました。この二つ、つまり直観と本能は、人間の「高き自己」と地上的性質との間の通信手段であり、聖なる源に発しているので絶対的な信頼をおくべきものでした。この「高き自己」にためらいなく従うことが健康と幸福の秘訣でした。

他人の干渉や提案によって自分自身の内なる確信に従うことが妨げられていると、恐怖心や不決断、嫌悪感といった摩擦し合う心理状態に襲われて、幸福な気持ちは損なわれ、健康をも悪化させてしまいます。

誰もが直感をもっています。バッチはそれを、自発性、つまり他に左右されずに自分自身でいる能力と定義しました。さらにバッチは直感について「自然でいること、自分自身の感性に完全に従うこと。そして他の人を干渉せず、自分への干渉も許さないこと。それは明るい子どものような状態です。」と述べています。

「汝自身を癒せ」の最後の文は、自分自身の聖なる知恵への絶対的信頼から結果してくる幸せの大切さを強調しています。

「兄弟、そして姉妹の皆さん、あなた方は、自らに神性があることを受けとめ、その意味を理解して、聖なる叡智の光に浴して下さい。そして幸福になり、幸福を分かち合うという神の大いなる計画に加わる仕事に着手して欲しいと思います。神の願いに従うためだけに存在し、若い仲間の力になることを大きな喜びとするホワイト・ブラザーフットと力強い絆を結んで仕事を始めようではありませんか」


キリスト


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自然界の四大元素をつかう

エドワード・バッチは、植物を調べている中で、花そのものには探し求めている治癒物質は含まれておらず、植物から集めた露にある種の明確な力が含まれていることに気づきました。そして、治癒物質の抽出プロセスにおいて、太陽のエネルギーが必要不可欠な要因であることも判明しました。日陰で集められた露は、太陽の光をいっぱいに浴びている植物の露ほどには力をもっていなかったのです。太陽に暖められた露が植物の性質を吸収していることを証明した彼は、フラワーレメディの製造法を完成させる決意をしました。

それぞれの花から充分な量の露を集めるのは、かなり手間のかかる仕事であり、時間がかかり過ぎます。そこで彼は、選んだ植物からいくつか花を摘みとり、近くの清流から汲んできた水を一杯にはったガラス製のボウルにそれらを浮かべ、野原の上で数時間、太陽の光を充分に浴びせました。これによって、水が植物のパワーを帯び、強い力を生むことがわかり、彼は非常に満足を覚えました。彼はついに、何年も探し求めていた新しい薬の製法を開発したのです。のちに彼が発見した19種のフラワーレメディ(お花の治療薬)はすべてこの太陽法(sun method)で作られました。

バッチはこの発見を非常に喜びました。この方式では、使われる植物を壊したり傷つけたりすることがまったくありません。すべての製造過程は、その植物が育った場所で行われます。摘み取られる花は、どれも新鮮で完全な状態のまま使われ、植物から水へと移す際に、花のパワーはまったく失われずに済むのです。これは、バッチがずっと念願であったシンプルな方式で、火、土、風、水という自然界の四大元素がここに使われ、それらが一つになって大きな効き目を表わす治療薬を生み出すというもののです。

バッチは、1930年に書いた論文の中で、太陽法について、次のような言葉を書き入れています。

「地は植物を育み、風は息を与え、太陽あるいは火はその力を分かち、水は集めてその有益な磁気治療力でいっぱいになります」

「この製法の単純さがあなた方をつまずかせることのないように、と願うものです。調べれば調べるほど、ますます自然界が単純であることに私たちは気づくのです。

バッチは、この実践的かつ平易な治療薬の開発により、真の知識は人間の頭によって得られるものではなく、生命の自然かつ単純な真理を受けとめる能力によって生まれるという確信を持つようになりました。


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直感を使って植物の波動を調べる

エドワード・バッチは、毎日のように探索を続けるうちに、次のような確信を持ちました。

『今年の後半に、探している植物が見つかるであろう。なぜなら、日がもっとも長く、太陽の力がもっとも強いときに開花するものだから。その薬効成分を百パーセント取り出すには、花だけを使えばよい。植物の生命は種子を形成する花の中に集められているからだ。』

『選びとる植物は、植物の種類の中で一番完全なものでなければならない。その花は、色も形も整っていなければならない。自然界はもの惜しみしないので、目指すものはたくさん見つかるはずだ。』

五月のある朝早く、まだ露が降りたままの瑞々しい野原を歩いていたときのことです。この露の一滴一滴にそれが降りている植物の薬効成分が含まれているに違いない、という思いがバッチの心の中にひらめきました。太陽のエネルギーが水滴を通して作用し、それらの薬効成分を引き出して、露の一滴一滴に力を帯びさせるためです。バッチは、自分がこの方法で求める植物の薬効成分を手に入れたならば、そこから製造される薬はその植物の完璧なエネルギーを含み、これまでに知られているどのような薬品にも見られない治癒効果を発揮するだろうと直感しました。植物の治癒力を抽出するプロセスは単純なものになる。それはすべての食品の中でもっとも完全な蜂蜜がミツバチによって花から集められるのと同じくらい単純なものだ、と彼は感じたのでした。


蓮華と蜜蜂


彼は、太陽が蒸発作用を起こしてしまう前に、ある花々から露をかき集めてこの理論をテストし、自らそれを試してみることに決めました。まず初めに、色々な花を揺すって、その露を小瓶に移しかえ、太陽光にさらされていた露を入れた瓶と、日陰になっていた露を入れた瓶とに分けました。

ロンドンでの後半生の日々、特にウェールズで過ごした数週間で、バッチは自分の感覚すべてが研ぎ澄まされ、ますます充実していくのに気づいていました。彼は、それまで自分が意識することのなかったものを見たり、聞いたり、感じたりすることができる自分に気づき始めていたのです。そのよく発達した触感を通して、彼は自分がテストしてみたいと思うどのような植物からも、波動と力を感じ取ることができました。

バッチは、植物の花びらや花全体を手に取るだけで、その花に秘められた性質や作用を感じることができました。その中には、心身のエネルギーを強化するものや活性化するものもあれば、吐き気を感じたり、発熱や吹出物などを起こすものもありました。彼自身が優れた研究設備であり、どのような科学的な機械よりも、直感と感覚という創造主が人間に与えた道具ほど優れたものはないと思いました。彼は波動に敏感な体の反応によって、花々から集めた露をテストしていきました。


春の野草


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真の治癒力をもつ植物をもとめて

エドワード・バッチは、ウェールズ地方の小さな村に落ち着き、新しい薬を探究する仕事を開始しました。彼は自分の探し求める薬効成分がどの植物に含まれているのかをまったく知りませんでした。わかっていたのは有益であり質の高いものであるということくらいです。毒性植物は人体の治癒に本当の意味で作用をしないと確信していました。

正しい薬は、服用するときに不快感がなく、また深刻な反応を起こすこともなく、その効果は優しく、確実で、心と体の両方を癒す結果になるはずだと感じました。また、そのような薬を製造する新しい方法、これまで使われてきたものより単純な方法を見つけなければならないとも考えました。

その年の春は遅くやってきました。夏の花の最初のものは、前の季節の花と一緒に咲いていましたので、森や草地、生垣や川岸は花一色に染まりました。

バッチは、植物の育っている場所、選んでいる土壌、花弁の色、形、枚数、そして塊茎(かいけい)で広がっていくのか根や種子で広がっていくのかなどに注意しながら、一日中たくさんの植物を調べて過ごしました。一つの植物の近くに幾時間も座ったり、新鮮な標本を求めて沼地や沢地を伝ったり、山頂に登ったり、小径や原野を何キロも歩いて過ごし、一つ一つの花や草、木々の習性や特徴をできる限り学びとりました。

彼は、正しい薬効成分をもつ植物は野山に自生する野の花にあると確信してはいたものの、まめだおし、サボテン、シーウィードといった原始的な種類、またヒヨス、ナイトシェード(毒なす)、トリカブトといった有毒植物、また人間が食用にしている多くの植物も除外すべきことを知りました。

「真の治癒力をもつ植物」は、それとは違う目(もく)の中にあり、数も少なかったのです。人体の苦しみを和らげるような薬効成分をもつ植物はたくさんあり、薬にもすでに使われています。しかし、「真の治癒力をもつ植物」には、これに優る大きな力が秘められていました。

病を一時的に和らげるというものではなく、治すこと、心身に健康を取り戻すことがその働きでした。

草原


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医学を捨てる

1930年の初め、43歳のとき、エドワード・バッチはロンドンを離れ、すべての時間を新しい仕事である野草薬の発見に注ぐ決心をしました。そこで、7つのバッチ・ノソードの処方を完成させるための残りの仕事は、彼を手助けしている医師たちに委任しました。

5月のある朝早く、バッチは友人たちに別れを告げて、ロンドンを発ちました。彼は自分が手放した地位と富に対して少しも後悔することなく大冒険に旅立ち、ウェールズの中央部まで旅して、野原に咲く素朴な花々から薬を製造しようと希望に胸を膨らませました。

ロンドンに別れを告げた今、バッチは、これまで自分を引きこもりがちにさせていた息苦しいもの、車の騒音、人混み、林立する家々を後にすることに喜びと興奮を覚えました。繊細な感性を持つ彼は、長いあいだ、静かな田園地帯や原野、森林に憧れていました。そして今、その心の願いに向かって旅を始めたことに、退屈な授業から解放された子どものような幸せな気分でいっぱいでした。

彼は、ウェールズやイギリスの南部、東部、川や海沿いなど、国中を放浪しながら、何千キロという道のりを、人と自然を観察しながら歩くことになりました。人と自然を観察し、理解を増すということが、新しい野草療法の体系化に結びつくことになります。

エドワード・バッチは、治療を職業とは考えず、聖なる芸術とみなし、この治療の仕事に携わる特権を持つ者は人に奉仕する心構えを持たなくてはならないという気持ちをますます強めていきました。健康は商品ではなく万人の権利です。それで、ロンドンを発ってから人生を閉じるまでの間、彼は患者に一銭のお金も要求せず、富める人にも貧しい人にも同等に救いの手をさしのべました。

このような日々を送っていたことから、彼は金銭の欠乏により食料や生活必需品が工面できずかなり苦しい生活を強いられましたが、彼にとってこのようなことは少しも問題ではなく、研究が阻まれることもありませんでした。

バッチの助けを有難く思う患者たちと理解ある友人たちから寄せられる寄付や贈り物で、彼はなんとか仕事を継続させることができました。このようなわけで、自分が新しい旅や仕事の新しい展開を考えているときには、必要なものをまかなうのに十分なものを与えられることを彼は知ったのでした。これによって彼は、自分が正しい方向に向かっていること、あとは全能の神に身を委ねて前進するだけだという確信を強めました。

草原


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聖なる霊感に導かれて

1928年9月末のある日のこと、エドワード・バッチは突然、ウェールズに行ってみたいという衝動に駆られました。そして、内部からの導きに従って、二種の美しい植物を見つけるのに成功しました。それは、淡い藤色のインパチエンス(ほうせんか)と、金色の花を開いたミムラス(みぞほおずき)で、両方とも山の渓流の近くに多く自生する植物です。

彼は早速、この二つの植物をロンドンに持ち帰り、経口ワクチンを製造したときと同じ方法で処理することにしました。患者の性格に合わせて処方し使用してみた結果、このレメディが即座に素晴らしい結果を生むことがわかりました。

インパチエンスの花
18 Impatiens 

ミムラスの花
20 Mimulus 

同じ年に、彼はもう一つの植物を見つけました。野生のクレマチス(せんにん草)です。

クレマチス
09 Clematis


これら三つの植物が、彼が後に発見するハーブ・レメディ(野草薬)で使われることになる38種のハーブ(野草)の最初のものとなりました。

バッチはこの三種のハーブ・レメディを使い、患者の性格だけを頼りに治療を始めました。そしてこの新しい治療法に強い確信を覚え、1929年の末には、これまでのバクテリア・ノソードを純粋かつ単純な野草に切り替える決意をし、他の療法をすべて放棄して、インパチエンス、ミムラス、クレマチスのみを使うとともに、さらに他の野草も探すことにしました。

彼の心を捉えていたのは、日を追うごとに強まってくる確信だけでした。自分の探し求めているものは自然界の木々と草花の中にみつかる、という確信です。それは、自然界そのものがすでに人間に処方してくれている薬でした。

バッチ博士は、自分の中に、聖なる霊感、真の知恵が目覚めてくるのを感じていました。霊感に導かれた彼は、科学的、人為的な治療手段をすべて放棄して、大自然の単純な方法に戻ろうとしていたのです。


高原


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ある晩餐会での発見

これまで、エドワード・バッチの仕事上の発見のほとんどは科学的な研究によるものでしたが、直面している課題が科学によって十分な回答が得られないときは、直感に頼るようにしました。そして、常にそうした内なる知識が自分自身を正しい方向に導いてくれることに気づきました。

1928年はバッチにとって記念すべき年となりました。なぜなら新しい仕事に出会ったからです。

研究室での実験など普段の仕事から離れられるときには、彼は、薬草となる植物を探すことに時間を費やしました。7つのバクテリア・ノソードの代用にしようと考えたからです。毎日のように田園地帯や海辺、公園などからたくさんの標本を持ち帰り、実験をしましたが、バクテリア・ノソードの成果と比べて、十分に満足できる結果を得るものがありませんでした。彼はその理由について深く考えました。真のヒーリングの媒体となるものは自然界の木々や植物にあることを確信していたため、彼は病気そのものについて、その原理と心身への影響についての理解を深めることに注意を向けました。

そんなある日、ある晩餐会の席で、問題の答えが得られたのでした。

バッチは、気が進まない晩餐会に出席し、その場であまり楽しむことができずにいました。時間潰しにそれとなく周囲の人々を眺めていたとき、彼は、人がいくつかの明確なタイプをもつ集団に分類できることに気づきました。晩餐会の会場にいるすべての人が、そのどれかの集団に属していました。そこで、彼は、人々の食事のしかたや笑い方、手や首の動かし方、体の姿勢、顔の表情、声の使い方などをよく観察しながら、残る時間を過ごしました。

ある人々には、まるで同じ家族に属しているかのような類似性がありましたが、もちろん血縁関係はありません。

バッチは、このことに夢中になり、食事が終わった頃にはいくつかの集団に分類し終え、それを7つのバクテリア・グループと比較することで頭はいっぱいでした。すでに集団の数は7つを越えていて、もっと慎重に研究を進めれば、その数はさらに増えるに違いないと確信しました。また、各グループの人々は、同じ種類の病にかかることはなくとも、ひとりひとりは同じ方法、あるいはほぼ同じ方法によって、どのような病にも反作用を起こす、というインスピレーションが湧いてきました。

テーブルセット

それ以後、彼のもとを訪れる患者たちは、ひとりひとり精密に調べられるようになりました。性格、特徴、雰囲気、病気に対する反応の仕方、仕草、些細な習慣のひとつひとつにまで注意が払われ、すでにある薬をこうした指標に応じて処方しました。この治療の成果は非常に素晴らしく、彼はここからもあらためて、自分の直感が正しい方向に働いていることを確信しました。それはハーネマンの原理を広げたもので、それまで実施してきたどのような方法よりも理想に近いものでした。


カウンセリング


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自分が直観によって長年培ってきたある原理を科学的に証明しました。それは、患者の気性が、必要な治療を表示する最も重要な要素である、という原理です。ワクチンはこのようにして、局部の症状が消失してしまうほどに、患者の全身の状態を改めたのです。

その後、彼は、フラワーレメディを通して、患者を気分の良くない状態から気分のよい状態に引き戻すことが治療の引き金になることを知ります。

ノソードとその経口投与法の成功にも関わらず、バッチは、七大バッチ・ノソードが一領域の病を代表するものでしかなく、それだけですべての慢性病を治療できるわけではないことを実感していました。また、使われている薬の性質にも満足することができずにいました。病気の産物(ワクチンとして使われている腸内微生物)をより純粋な薬に代えたいという気持ちが常に心の中にあり、将来の自分の仕事をこの目的に向けることを彼は決意しました。

彼は、自然界の植物や野草の中に新しい薬を発見する仕事に入りました。そして、バクテリア・グループと類似する効果をもつ植物を幾つか見つけますが、実験を重ねた結果、何かが欠けていてバクテリア・ノソードにみるような有益な結果が得られないことに気づきました。

1928年、42歳のとき、ロンドンの英国同種療法(ホメオパシー)学会の講演で、彼はこのことに触れました。「乾癬の再発見」と題するこの論文は、1929年1月号の『英国同種療法(ホメオパシー)ジャーナル』に投載されましたが、それは重要な意義をおびたものでした。その中で、彼は新しいより優れた薬を今後二、三年以内に発見し完成するとの公式声明を初めて出したからです。

これとの関連で次の抜粋文はとても重要であると思われます。

「7つのバクテリアグループの代わりに7つの野草を提供できればと私は願っています。なぜなら、病に関係するものを症状の治療に使うということに多くの人が多少とも違和感を覚えているように見受けられるからです」

同じ講演の中で、彼はハーネマンについてこう述べました。

「彼は文明をおおう状況が変化するたびに新しい病が起きてくるため、新しい薬を探す必要があるとみていました。この天才は、起こりうるすべての病に対処するだけの数限りない薬が、自然界の中に発見できる、という事実も理解していたのです」

この年に、バッチは、7大ノソードの代用となる38種のフラワーレメディのうち3つまでを発見しました。これらのレメディはすべて病を癒し、起こり得るあらゆる症状に対応し得るものでした。病ではなく患者の気性または気分を治療することによって、彼は最終的に病気の種類や性格、名称などがほとんど意味を成さないことを知ったからです。

彼はある講演でこうも語っています。

「私たちはバクテリア・ノソードを植物に代用しようとあらゆる努力を払っています。現にそのいくつかをほぼ正確に特定しました。例えば、オルニソルガムの波動はモルガン・グループとほぼ同じでありますし、赤痢菌類の特性をほとんどすべてもつ海草も発見しています。しかし、何かが欠けているのです。その何かが、バクテリア・ノソードを放棄することを思い留まらせているのです。この大切な点は極性です。自然界の薬は相乗させると陽の極を持ちます。病気に関するものは、その逆の極性なのです。そして、今の段階では、この逆の極性がバクテリア・ノソードによって得られる成果に不可欠な要素のように思えるのです。おそらく近い将来、新しい相乗法を開発できると思います」

彼がこの新しい相乗法を発見したのは二年後のことで、これによって極性の問題は完全に除かれることになりました。

試験管


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ワクチンに代わる植物

エドワード・バッチは、自分が直観によって長年培ってきたある原理を科学的に証明しました。それは、患者の気性が、必要な治療を表示する最も重要な要素である、という原理です。ワクチンはこのようにして、局部の症状が消失してしまうほどに、患者の全身の状態を改めたのです。

その後、彼は、フラワーレメディを通して、患者を気分の良くない状態から気分のよい状態に引き戻すことが治療の引き金になることを知ります。

ノソードとその経口投与法の成功にも関わらず、バッチは、七大バッチ・ノソードが一領域の病を代表するものでしかなく、それだけですべての慢性病を治療できるわけではないことを実感していました。また、使われている薬の性質にも満足することができずにいました。病気の産物(ワクチンとして使われている腸内微生物)をより純粋な薬に代えたいという気持ちが常に心の中にあり、将来の自分の仕事をこの目的に向けることを彼は決意しました。

彼は、自然界の植物や野草の中に新しい薬を発見する仕事に入りました。そして、バクテリア・グループと類似する効果をもつ植物を幾つか見つけますが、実験を重ねた結果、何かが欠けていてバクテリア・ノソードにみるような有益な結果が得られないことに気づきました。

1928年、42歳のとき、ロンドンの英国同種療法(ホメオパシー)学会の講演で、彼はこのことに触れました。「乾癬の再発見」と題するこの論文は、1929年1月号の『英国同種療法(ホメオパシー)ジャーナル』に投載されましたが、それは重要な意義をおびたものでした。その中で、彼は新しいより優れた薬を今後二、三年以内に発見し完成するとの公式声明を初めて出したからです。

これとの関連で次の抜粋文はとても重要であると思われます。

「7つのバクテリアグループの代わりに7つの野草を提供できればと私は願っています。なぜなら、病に関係するものを症状の治療に使うということに多くの人が多少とも違和感を覚えているように見受けられるからです」

同じ講演の中で、彼はハーネマンについてこう述べました。

「彼は文明をおおう状況が変化するたびに新しい病が起きてくるため、新しい薬を探す必要があるとみていました。この天才は、起こりうるすべての病に対処するだけの数限りない薬が、自然界の中に発見できる、という事実も理解していたのです」

この年に、バッチは、7大ノソードの代用となる38種のフラワーレメディのうち3つまでを発見しました。これらのレメディはすべて病を癒し、起こり得るあらゆる症状に対応し得るものでした。病ではなく患者の気性または気分を治療することによって、彼は最終的に病気の種類や性格、名称などがほとんど意味を成さないことを知ったからです。

彼はある講演でこうも語っています。

「私たちはバクテリア・ノソードを植物に代用しようとあらゆる努力を払っています。現にそのいくつかをほぼ正確に特定しました。例えば、オルニソルガムの波動はモルガン・グループとほぼ同じでありますし、赤痢菌類の特性をほとんどすべてもつ海草も発見しています。しかし、何かが欠けているのです。その何かが、バクテリア・ノソードを放棄することを思い留まらせているのです。この大切な点は極性です。自然界の薬は相乗させると陽の極を持ちます。病気に関するものは、その逆の極性なのです。そして、今の段階では、この逆の極性がバクテリア・ノソードによって得られる成果に不可欠な要素のように思えるのです。おそらく近い将来、新しい相乗法を開発できると思います」

彼がこの新しい相乗法を発見したのは二年後のことで、これによって極性の問題は完全に除かれることになりました。

試験管


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ワクチンと食事療法を合わせる

1922年、36歳のとき、ロンドンのホメオパシー(同種療法)病院での仕事があまりに拡大してきたため、エドワード・バッチは、自分の研究にほとんど時間が取れなくなりました。高まる名声はハーレー街の診療所でも処理しきれないほどたくさんの仕事をもたらし、そればかりか彼はノッティンガム・プレースにも小さな診療所を残していて、貧しい人たちを無料で治療していました。

7つのバクテリア・グループと7つのノソード(疾病から獲得された治療物質)に関してまだたくさんの研究が残されていましたので、ロンドンのホメオパシー(同種療法)病院専属の細菌学者、病理学者のポストを捨てて、ポートランド・プレースのパーク・クレセントにある大研究所に移りました。

1926年、40歳のとき、ロンドンのホメオパシー(同種療法)病院での研究を手助けしてくれたC・E・ウィーラー博士との共著で『慢性病ー治療に有力な仮説』という本を出版しました。この本はかなり売れ、対症療法、同種療法いずれの世界でも受け入れられました。彼の説く方法を使った誰もが満足すべき結果を得たため、その後、注射に代わって経口ワクチンが広く使われるようになりました。

次の数年間は多忙な年になり、彼はハーレー街の診療所とパーク・クレセントの研究所の間を行ったり来たりする生活を送りました。常に助手が必要になるほど仕事は増えましたが、彼自身は700人を超す医師から送られてくる標本からワクチンを製造することに没頭しました。それに加えて、海外からも医療関係者たちが訪れて、彼の治療方法を学びとるために彼の研究所で仕事を共にしました。最大多数の人が益するために、自分の発見を広く知らしめることが彼の願いでした。

当時の収入はかなりのものでしたが、彼は稼いだお金は1ペニーに至るまで研究の続行に必要な器材と助手の給与に使っていました。お金を貯めるということがほとんどなかったので、1930年に新しい仕事のためにロンドンを発ったときには、ポケットには2,3ポンドしか残っていませんでした。

彼はまた、病気に関連して、ダイエット(食養生)の効果も研究し、腸内毒素の生産量を減らすために、手を加えない食物、果物、ナッツ、シリアル、野菜をとるように提案しました。このワクチン療法と併用したダイエット(食養生)の効果について、バッチは、1924年にロンドンで開催された英国ホメオパシー(同種療法)学会で研究発表を行いました。「癌に関係する腸内毒血症」と題されたこの講演の中で、彼は、「この益は全身の改善によって得られるものであり、局所療法による結果ではない」と指摘しています。

サラダ


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7つのバクテリア・グループの分類

ロンドンのホメオパシー(同種療法)病院の細菌学部における業績は、長いあいだ無視されていました。エドワード・バッチはそれを復活させ、正統医学とハーネマンの純粋な原則とを合わせるという、これまでホメオパシー療法家たちが試みなかったことを初めて着手する決意をしました。

エドワード・バッチ博士(1921年)
エドワード・バッチ

次に、彼は、慢性病に関する自分独自の発見とハーネマンのそれとの間の関係に注意を向けました。ユニバーシティ・カレッジ病院免疫部における研究で、彼は腸内微生物の生産する毒素が慢性病の原因であり、その毒素が除去されれば慢性病は消えるという事実を発見していました。

また、バッチは、多種類の腸内桿菌(かんきん)を、砂糖に起こすその発酵作用から幾つかのグループに分け、それを7つの中心集団に分割しました。そして桿菌の7つのグループは次のように名づけられました。

 1.Proteus(プロテウス菌)
 2.Dysentery(ディセンテリ―菌, 赤痢菌)
 3.Morgan(モルガン菌)
 4.Faecalis Alkaligenes(ファエカリス・アルカリゲネス菌, アルカリ大便菌)
 5.Coli Mutabile(コリ・ミュータビレ菌, 変形大腸菌)
 6.Gaertner(ゲルトネル菌)
 7.No.7(第7菌)

これらのグループから製造されたワクチンは、腸内を浄化し、食べたものすべてを消毒してきれいに保たせ、体に残ったものを健全できれいで害にならないようにする性質を持つことがわかりました。この消毒過程によって、患者の健康状態は著しく改められ、局部治療を施さずとも局部症状が治癒しました。

さらにバッチは、7つのバクテリア・グループの1つが優勢になっている患者の mentals(精神)あるいは性格類型を調べ、各集団に所属する明らかなタイプを発見しました。

7つのバクテリア・グループは、7つの明確に違った人間性に符合していたのです。そして性格的な症状に合わせてこれら7つのノソード(疾病から獲得された治療物質)で患者を治療することによって、予想を超える成果が得られました。また、この研究を進めていくにつれ、患者のタイプと症状だけからもかなりの割合でバクテリアを予測することができることもわかりました。

彼はのちに、自分の発見した新しい薬草療法の分野で、この診断と処方手段をいっそう充実したものに発展させることになります。


 実験室


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ホメオパシー療法に出会う

1918年、32歳のとき、エドワード・バッチの仕事に新しい局面が訪れました。

ユニバーシティ・カレッジ病院の上層部が、職員全員は外部での仕事をやめて、すべての時間を病院内での仕事に従事するように命令を下しました。バッチは、時間や規則に縛られることが大嫌いだったことから、ユニバーシティ・カレッジ病院を退職することにしました。そして、腸の敗血症に関連した研究を続けるために、ノッティンガム・プレースに専用の研究所を開設し、そこで患者の診療と研究を進めることにしました。 

その翌年の3月、ロンドンのホメオパシー(同種療法)病院の病理学者と細菌学者のポストが空き、そこに就任することになりました。そして1922年までこの病院で仕事をしました。


娘のボビーと遊ぶエドワード・バッチ(1920年)
エドワード・バッチ


新しい職場で、ホメオパシーの創設者サミュエル・ハーネマンの著書『オルガノン』を読むように手渡され、心の中に疑いを持ちながら読み始めたものの、最初のページで考え方がガラリと変わり、読めば読むほど興味が高まり、ハーネマンの発見と自分の発見とが非常に似通っていることに気づきました。

医術のオルガノン第六版[改訂版] (ホメオパシー古典シリーズ)
サミュエル・ハーネマン
ホメオパシー出版
2008-08-10





ハーネマンは、バッチがつい最近まったく別な方法で発見したことを、すでに百年も昔に発見していました。彼は、慢性病と腸の毒化作用との間に緊密な関係を深め、また薬の副用から起こった改善が消えたときのみ次の服用をした方がより効果的であることを実証していたのです。ハーネマンが手に入れた治療薬にも心を動かされました。ハーネマンは病気の産物である細菌を使わず、植物や野草、苔など自然界から主に摘出した薬を使っていたのです。毒物や金属も使われていたことは事実ですが、それはごく微量であり、有害な作用が中和されるよう処理されていたのです。また、ハーネマンも、病のひとつひとつに、集合的な治療ではなく個人的な治療が必要であることを発見していたのです。

「……道理をわきまえた医師は、自分の手がける個々の症例を個人の性格に従って判断し、その個性に応じた治療を施し、個人個人に適した薬を使うものだ」
(ハーネマン著『オルガノン』第48節)

ハーネマンは、真のヒーリングの原理は、病を扱うことではなく、患者の特徴や気質、つまり精神面を扱うことであり、体の症状とは無関係にこれらのことを薬の指標として使わなければならないと述べています。この「病気ではなく患者自身を扱う」という原則は、エドワード・バッチがその後発見することになる新しい野草医学体系の基礎になりました。

本


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病からの回復とワクチンの開発

エドワード・バッチが腸内バクテリアから開発したワクチンは、慢性病の治療に使われるようになり、その優れた効き目によって広く医療の分野で応用されるようになりました。バッチは活動の幅を広げつつ研究を一新し、細菌学者としての名声が高まりまるにつれ、ハーレー街の診療所に訪れる患者の数は増す一方になりました。この段階で、彼は、これまでの仕事の成果に大きく勇気づけられ、見つけたいとあれほど願っていた優しくて確実な治療方法に、自分が少しずつ近づいているのを感じ始めていました。

腸内バクテリアや腸の敗血症に関する彼の研究はますます知られるようになり、また彼が発見したワクチンの効果が医学雑誌にも掲載され、1920年の王立医学協会の会報にも記録されました。

こうした発見は、従来の慢性病治療よりはるかに先を行ったものでしたが、それでもバッチは満足できずにいました。ワクチンすら効かない特定の病がまだあり、従来の診断方法は彼にとってあまりに長すぎるものでした。病名が決定され治療が処方されるまでに、数日から数週間、ときには数か月に及ぶ調査と観察、試験が必要でした。その間にも患者はますます悪化の一途をたどり、救いがさらに必要になってくるのです。彼は、自分の仕事がまだ始まったばかりであることを感じ、努力を倍にする決意をしました。


実験器具


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永遠に消えない光

エドワード・バッチは、ロンドンのユニバーシティ・カレッジ病院の細菌学部での研究に加えて、病院に担ぎ込まれてくる数百人の患者の世話を任されていました。

彼はたゆまず働き続け、休息をとるということがなかったため、ついに体を壊して実験室の長椅子の上で気を失ってしまいました。そして1917年の7月に大出血を起こして昏睡状態に陥りました。彼は手術によって生き延びることができましたが、末期癌という深刻な診断が下されました。話せるようになると、病巣は局部的に摘出したがすでに広がっており、余命3ヵ月と宣告されました。

バッチは、もし仕事が未完のまま終わるのであれば、自分に残された日々を最大限有効に使おうと決意しました。手術の後の体はかなり弱っており、歩くのもやっとの状態でしたが、彼は病院の研究室に戻り、時も忘れて研究に没頭し、時間を忘れて日夜働き続けました。彼の研究室の窓からもれてくる灯光は「永遠に消えない光」とまでいわれるようになりました。


階段と明かり


月日が経つにつれ、彼は自分の体の悪いのをすっかり忘れ去り、逆に体が強まってくるのを覚えました。そして三か月が経った頃には、ここ数年で一番健康に感じるほどよくなっていることに彼は気づきました。

このことは、自分の絶大は回復力、いわば生命生還の理由を考えるいいきっかけになりました。彼は没頭するような興味と強い愛、そして人生にはっきりとした目的を持つことが、地上に生きる人間の幸せを決定する要因であり、困難を克服して健康を取り戻すのを助けた誘因になったのもこれである、という結論に達したのです。

のちの仕事において、この真理は強調されることになります。それは、彼の発見したフラワーレメディには、生きて人生の目的である仕事をしたいという望みを回復するほど心身を元気づける力があり、まさにその願いによって健康が取り戻されたからです。


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細菌学者になる

1914年、28歳のとき、エドワード・バッチは、ロンドンのハーレー街の近くに診療所を開設しました。

現代医学は病気のことばかり考えるように教育されているため、人間の性格を無視し、患者のもっとも重要な症状を見過ごしているとバッチは確信しました。そしてこの確信が他の治療手段を模索するきかっけとなり、バッチはもう一つの医学の分野である免疫学に関心を抱き、ロンドンのユニバーシティ・カレッジ病院で細菌学者の助手となりました。


■腸内細菌と慢性病との関連を発見し、腸内の異常細菌からワクチンを製造

バッチは、これまでの仕事の成果から、医師がどれほど努力しても治らない頑固な慢性病でさえも治すような治療手段の手がかりを自分がつかんでいると彼は感じ始めていました。それまでほとんど重要視されていなかった腸内の特殊な細菌が、慢性度とその治療に密接な関係をもっていることを彼は発見していたからです。この細菌は、慢性病を患っている誰の腸の中にも存在するもので、健康な人の腸の中にもいるのですが、前者の場合にはその数が目立って多く、後者の場合にはもっと少ない比率で存在しています。そこで、彼の仕事は、これらの細菌を調べ、それが患者の慢性症状とどのような関係をもっているのかを確かめることにありました。なぜ、これほどまで数が多くなっているのか、それは健康の回復を助けるためなのか、それとも遅らせるためなのかということです。

研究に数か月を費やした結果、彼はこれらの腸内バクテリアからワクチンを作り、それを患者の血中に注入すれば、慢性病を起こしている毒素を体内から除去しうるとの確信に至りました。そして、実施して得られた成果は予想を超えるものでした。しかし、患者に苦痛を伴う反応が起きてきたり、注射針の使用後に局所的に痛みや腫れ、不快感が起きることを知り、皮下注射の方式を嫌って、もっと単純な方法をみつける研究に入りました。


■効果的な投与方法(ワクチンの効果がなくなってから次の投与を行う)を発見

エドワード・バッチは、次の発見を通して、この問題を部分的に解決しました。それは、前のワクチンの有効性を使い切ってしまうまで次を繰り返さないでおくと、決められた間隔で適用する場合よりずっとよい結果が得られ、患者の反応もずっとよくなってくることに気づいたのです。患者が好転し続けている限りそれ以上治療の必要はないので、次の投与が必要になるまで数週間から数か月、一年に及ぶことも度々でした。悪化が認められる、あるいは患者の状態が停滞してきたときのみ、投与を繰り返す必要がありました。この大切な発見は、慢性病の治療に革命を起こし、数年後にもう一つの治療分野ー同種療法ーに入ったときにも、彼はこの研究をさらに進めて改良を加え、より単純化して、さらなる成果を得ました。


医師


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医学研究生の時代

1912年、26歳のとき、エドワード・バッチは、バーミンガム大学を卒業します。そして、ロンドンに移り、ユニバーシティ・カレッジ病院での研修を終え、医師免許である外科医(MRCS)と内科医(LRCP)の学位を取得します。その後、1913年には、医学士(MB)と外科医学士(BS)、1914年には、公衆衛生博士号(DPH)の学位を取得します。

廊下


医学生としてのエドワード・バッチは、読書に時間をかけることがほとんどありませんでした。理論的な知識は医師にとって最善の道具ではなく、人間を扱うための完全な手段ではないということを、彼はすでに感じていました。それは病に対する人間の反応が、あまりに多様化しているためでした。

彼にとって、真の病気の研究とは、患者ひとりひとりがその症状にどのような反応を見せているかを観察し、そのような違った反応が病気の進行や程度、期間にどう影響するのかを調べることにありました。

彼は、同じ治療が常に同じ病気に効くとは限らないことを観察を通して学び取っていました。そして、研究の初期の頃に、病気の治療においては、個人の体よりも性格の方がより重要であるという知識を得ました。バッチにとっては、患者の性格、病める人間そのものが、必要とされる治療の主たる指標であり、その人の人生観、感情、フィーリングが、病気の治療における第一に重要な点でした。

エドワード・バッチは、一時的な気休めではなく、病気の根本的な救いを見出すことに望みをかけ、患者を観察することに時間をかけました。彼は、病棟での治療の過程が苦痛を伴う、ときには病気そのものよりもはるかに苦痛を伴うものであることを知りました。そして、このことは彼の中に、真のヒーリング(治癒)は優しく苦痛を伴わないものであるに違いない、という確信を起こさせることになりました。

すでに研究生の頃から、彼は病気とその治療について真理の多くを学び始めていました。当時の観察が、20年後に発見することになる新しい薬学体系の礎石になるのです。彼はこれらの真理を少しずつ学びとっていきました。年月が経つにつれ、彼は医薬の各分野での発見を次々に行い、その価値を証明しながら発見したものを放棄したり完成させたりしつつ、ひとつひとつ知識を積み上げていきました。このような努力の背景には、常に目標がありました。それは既存の医薬を洗練させ、病気にとっての単純で確実な良薬を発見するということです。

彼は生涯を通じて、自ら証明するまでは既成の理論をほとんど採用することがありませんでした。彼にとっては、実践的経験と観察だけが、真の学習手段でした。学位を授与されたときに、彼はこのように述べたことで知られています。

「自分が教えられたことをすべて忘れるのに五年はかかるでしょう」


彼は知識と経験を人生と自分自身の直観から手に入れたのです。彼の業績の成果がすべて実用的なものになっているのもこのためです。そして、最後に一生の仕事が完成したときには、その記録を後世のために残しました。それは、誰にでも理解できるよう平易に書かれた30ページあまりの小著 The Twelve Healers and Other Remedies(12人の癒し手とその他のレメディ)に収められています。

医師


The Twelve Healers and Other Remedies
Bach Dr, Edward
White Press
2017-12-12




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医学の道に進む決心

16歳でモスレーのウィンターロー校を卒業したエドワード・バッチは、医学の方面に進みたいと決心していたものの、まず父親の鋳造工場で働くことに決めました。長い医学訓練に伴う費用を親に出してもらうことはできないと感じたためでした。それで、1903年から1906年にかけての三年間は、バーミンガムのバッチ工場で働きました。

彼の自由で多感な性格にとっては長く辛い歳月でしたが、彼はこれを無駄とは考えませんでした。労働者の仲間入りをした彼は、人々の性格について洞察と理解をこえて、これがのちの仕事の基盤作りに役立ちました。

鋳造作業


1903年に、彼はウォーセスターシャー義勇騎兵隊に加わりました。そこには馬がいたので動物への深い愛情に浸ることができ、また駐屯地の戸外での生活は工場での騒音とカンヅメ生活から彼を解放してくれるものでした。

しかし、彼の主な関心は、あらゆる面から自然界を調べることにありました。樹木や草花は彼にとって尽きることのない興味の世界であり、日中の散歩の時間を失うよりは工場で夜通し働くことの方を彼は好みました。

彼は決まりきった時間というものにいつもうんざりしていました。霊感は思いがけないときに生まれるものであり、そのような時間にこそ本当の仕事ができることを彼は知っていたのです。また、彼は、霊感の導きを非常に強く受けていたため、直観の働きを阻むどのようなものも満ち足りない気持ちを彼に起こさせたばかりか、体をも損ない、病を被ることがありました。

こんなわけで、工場での三年間は長すぎる期間に思え、ついには自分の本当の仕事を始めたいという衝動を抑えることができなくなりました。

まず始めに、彼は、これまでに知られている治療手段をすべて研究しようと決心しました。このために医学の勉強が必要になりましたが、学費の問題が重くのしかかり、この道を断念する寸前にまで至りました。しかし、自分の決意とその理由を父に話してみると、父は志に従うよう励まし、彼が勉強をすぐに開始できるよう学費を払い、仕送りもしようといってくれました。彼は時間を無駄にせず、すぐ受験勉強を開始し、1906年、20歳でバーミンガム大学に入学しました。

勉強をする男性


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バッチの少年時代(2)「すべてのものを愛する心」

エドワード・バッチは、多面的な性格の持ち主でした。幼い頃から独立心のある積極的な子どもだった彼は、素晴らしいユーモアのセンスを持ち合わせていましたが、ときどき静かな瞑想的な性格になり、一人だけで田舎を放浪し、一度に何時間ものあいだ、遠くの草に覆われた土手や巨木の樹皮を見つめていることがありました。

人であれ、野鳥であれ、苦しんでいるどんな生き物も、彼の中に強い同情の気持ちを呼び起こし、その苦しみを取ってあげたいという願いが、のちに彼を医者の道に進ませることになります。このような他者に対する圧倒的な同情の気持ちは、彼らの苦しみを深く理解させるものであり、彼のもっとも感動を呼ぶ資質の一つでもありました。彼が出会う誰からも愛されたのは、この資質によるものです。

木と鳥


彼は教室の中で居眠りして、自分が仕事を始めるときのことを夢みることがよくありました。あらゆる種類の病を癒せる簡単な治療法を発見している自分をよく夢に見ました。また、自分の手から癒しのパワーが流れ出て、彼に触れる誰をも癒してしまうのを度々夢に見ました。このような夢は単なる子どもの想像力によるものではありません。内なる自分が未来に起きることを知っていたために現れたものなのです。なぜなら、彼はのちに野の花の中にかくも単純な治療薬を見出し、後年には自分に人を癒す力が備わっていることを発見することになるからです。彼の手に触れて癒された病人は数え切れません。

すべての病を癒す単純な方法を発見するという彼の理想はその後も決して離れることがなく、成長するにつけ理想は確信となり、一生の仕事を陰で支える原動力となりました。病理学者、細菌学者、同種療法医として開業していた頃に彼の目指していたものは、確実な治療を生み出せずにいる複雑な科学的手段に代わる、単純な治療形態、純粋な薬を発見することにあったのです。

しかし、少年としてのエドワード・バッチは単なる夢想家ではありませんでした。彼の確信、目的意識の強さ、あらゆることに向けられる関心は、それがどれほど小さなものであっても、一つになって偉大な天才の性格を形成しました。とはいえ、どの天才にも見られるように、彼は孤独になる宿命を背負っていました。初めから自分の一生の仕事を知っていて、その大いなる目的を何者にも邪魔させない彼のような人間を理解できる人は、ほとんどいなかったからです。

彼の人生には二つの大きな関心事がありました。一つは、それが人であれ、鳥や獣であれ、苦しむすべてのものに対する絶大なる憐みの情、そして自然界とそこに生える木々や植物をこよなく愛する気持ちです。この二つが一つになって、探し求める癒しの知識へと彼を誘ったのでした。一つの愛がもう一つの愛を助けました。なぜなら、彼は大自然という宝庫の中に、病に冒され苦痛に喘ぐすべての人を癒せる野花を発見したからです。

少年


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バッチの少年時代(1)「ウェールズへの親しみ」

エドワード・バッチは、1886年9月24日、イングランドの中部にあるウォリックシャー州のバーミンガムから3マイルほど郊外の村モスレーに、二人の妹をもつ長男として生まれました。

モスレーの風景
モスレー

バッチは、ウェールズ人の血が流れていたため、直観力にはとても鋭いものがありました。そしてウェールズに関するすべてのことが、彼の心を強く魅了しました。バッチ(Bach)という名が暗示するように、彼の家族は昔、その地方から渡ってきたのであり、彼の直観的、理想主義的な性格、美しいものを愛する心、そのきれいな声は、彼があの神秘な地方の生んだまことの子であることを告げるものでした。

バッチが通ったモスレーのウィンターロー校の学長ハワード・フィッシャーは、ウェールズ人で、バッチはこの人物を晩年まで慕い続けました。

ウェールズを愛する気持ちが、バッチを度々この地方に引き寄せました。子どもの頃、彼はウェールズの村々や山々を歩き、野鳥や木々、野の花を友にして過ごすのが大好きでした。大自然を愛する気持ちは、すでに幼い頃から現われていたのです。

のちに、彼は自分を有名にしたフラワーレメディ(野草薬)の最初のものを渓流のそばで見つけることになります。また、さらに後になって、ウェールズ村の静かな環境の中で、新しい野草医学の体系作りをすることになります。

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