16歳でモスレーのウィンターロー校を卒業したエドワード・バッチは、医学の方面に進みたいと決心していたものの、まず父親の鋳造工場で働くことに決めました。長い医学訓練に伴う費用を親に出してもらうことはできないと感じたためでした。それで、1903年から1906年にかけての三年間は、バーミンガムのバッチ工場で働きました。

彼の自由で多感な性格にとっては長く辛い歳月でしたが、彼はこれを無駄とは考えませんでした。労働者の仲間入りをした彼は、人々の性格について洞察と理解をこえて、これがのちの仕事の基盤作りに役立ちました。

鋳造作業


1903年に、彼はウォーセスターシャー義勇騎兵隊に加わりました。そこには馬がいたので動物への深い愛情に浸ることができ、また駐屯地の戸外での生活は工場での騒音とカンヅメ生活から彼を解放してくれるものでした。

しかし、彼の主な関心は、あらゆる面から自然界を調べることにありました。樹木や草花は彼にとって尽きることのない興味の世界であり、日中の散歩の時間を失うよりは工場で夜通し働くことの方を彼は好みました。

彼は決まりきった時間というものにいつもうんざりしていました。霊感は思いがけないときに生まれるものであり、そのような時間にこそ本当の仕事ができることを彼は知っていたのです。また、彼は、霊感の導きを非常に強く受けていたため、直観の働きを阻むどのようなものも満ち足りない気持ちを彼に起こさせたばかりか、体をも損ない、病を被ることがありました。

こんなわけで、工場での三年間は長すぎる期間に思え、ついには自分の本当の仕事を始めたいという衝動を抑えることができなくなりました。

まず始めに、彼は、これまでに知られている治療手段をすべて研究しようと決心しました。このために医学の勉強が必要になりましたが、学費の問題が重くのしかかり、この道を断念する寸前にまで至りました。しかし、自分の決意とその理由を父に話してみると、父は志に従うよう励まし、彼が勉強をすぐに開始できるよう学費を払い、仕送りもしようといってくれました。彼は時間を無駄にせず、すぐ受験勉強を開始し、1906年、20歳でバーミンガム大学に入学しました。

勉強をする男性


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バッチフラワーカウンセル
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