1912年、26歳のとき、エドワード・バッチは、バーミンガム大学を卒業します。そして、ロンドンに移り、ユニバーシティ・カレッジ病院での研修を終え、医師免許である外科医(MRCS)と内科医(LRCP)の学位を取得します。その後、1913年には、医学士(MB)と外科医学士(BS)、1914年には、公衆衛生博士号(DPH)の学位を取得します。
医学生としてのエドワード・バッチは、読書に時間をかけることがほとんどありませんでした。理論的な知識は医師にとって最善の道具ではなく、人間を扱うための完全な手段ではないということを、彼はすでに感じていました。それは病に対する人間の反応が、あまりに多様化しているためでした。
彼にとって、真の病気の研究とは、患者ひとりひとりがその症状にどのような反応を見せているかを観察し、そのような違った反応が病気の進行や程度、期間にどう影響するのかを調べることにありました。
彼は、同じ治療が常に同じ病気に効くとは限らないことを観察を通して学び取っていました。そして、研究の初期の頃に、病気の治療においては、個人の体よりも性格の方がより重要であるという知識を得ました。バッチにとっては、患者の性格、病める人間そのものが、必要とされる治療の主たる指標であり、その人の人生観、感情、フィーリングが、病気の治療における第一に重要な点でした。
エドワード・バッチは、一時的な気休めではなく、病気の根本的な救いを見出すことに望みをかけ、患者を観察することに時間をかけました。彼は、病棟での治療の過程が苦痛を伴う、ときには病気そのものよりもはるかに苦痛を伴うものであることを知りました。そして、このことは彼の中に、真のヒーリング(治癒)は優しく苦痛を伴わないものであるに違いない、という確信を起こさせることになりました。
すでに研究生の頃から、彼は病気とその治療について真理の多くを学び始めていました。当時の観察が、20年後に発見することになる新しい薬学体系の礎石になるのです。彼はこれらの真理を少しずつ学びとっていきました。年月が経つにつれ、彼は医薬の各分野での発見を次々に行い、その価値を証明しながら発見したものを放棄したり完成させたりしつつ、ひとつひとつ知識を積み上げていきました。このような努力の背景には、常に目標がありました。それは既存の医薬を洗練させ、病気にとっての単純で確実な良薬を発見するということです。
彼は生涯を通じて、自ら証明するまでは既成の理論をほとんど採用することがありませんでした。彼にとっては、実践的経験と観察だけが、真の学習手段でした。学位を授与されたときに、彼はこのように述べたことで知られています。
「自分が教えられたことをすべて忘れるのに五年はかかるでしょう」
彼は知識と経験を人生と自分自身の直観から手に入れたのです。彼の業績の成果がすべて実用的なものになっているのもこのためです。そして、最後に一生の仕事が完成したときには、その記録を後世のために残しました。それは、誰にでも理解できるよう平易に書かれた30ページあまりの小著 The Twelve Healers and Other Remedies(12人の癒し手とその他のレメディ)に収められています。
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彼にとって、真の病気の研究とは、患者ひとりひとりがその症状にどのような反応を見せているかを観察し、そのような違った反応が病気の進行や程度、期間にどう影響するのかを調べることにありました。
彼は、同じ治療が常に同じ病気に効くとは限らないことを観察を通して学び取っていました。そして、研究の初期の頃に、病気の治療においては、個人の体よりも性格の方がより重要であるという知識を得ました。バッチにとっては、患者の性格、病める人間そのものが、必要とされる治療の主たる指標であり、その人の人生観、感情、フィーリングが、病気の治療における第一に重要な点でした。
エドワード・バッチは、一時的な気休めではなく、病気の根本的な救いを見出すことに望みをかけ、患者を観察することに時間をかけました。彼は、病棟での治療の過程が苦痛を伴う、ときには病気そのものよりもはるかに苦痛を伴うものであることを知りました。そして、このことは彼の中に、真のヒーリング(治癒)は優しく苦痛を伴わないものであるに違いない、という確信を起こさせることになりました。
すでに研究生の頃から、彼は病気とその治療について真理の多くを学び始めていました。当時の観察が、20年後に発見することになる新しい薬学体系の礎石になるのです。彼はこれらの真理を少しずつ学びとっていきました。年月が経つにつれ、彼は医薬の各分野での発見を次々に行い、その価値を証明しながら発見したものを放棄したり完成させたりしつつ、ひとつひとつ知識を積み上げていきました。このような努力の背景には、常に目標がありました。それは既存の医薬を洗練させ、病気にとっての単純で確実な良薬を発見するということです。
彼は生涯を通じて、自ら証明するまでは既成の理論をほとんど採用することがありませんでした。彼にとっては、実践的経験と観察だけが、真の学習手段でした。学位を授与されたときに、彼はこのように述べたことで知られています。
「自分が教えられたことをすべて忘れるのに五年はかかるでしょう」
彼は知識と経験を人生と自分自身の直観から手に入れたのです。彼の業績の成果がすべて実用的なものになっているのもこのためです。そして、最後に一生の仕事が完成したときには、その記録を後世のために残しました。それは、誰にでも理解できるよう平易に書かれた30ページあまりの小著 The Twelve Healers and Other Remedies(12人の癒し手とその他のレメディ)に収められています。
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