これまで、エドワード・バッチの仕事上の発見のほとんどは科学的な研究によるものでしたが、直面している課題が科学によって十分な回答が得られないときは、直感に頼るようにしました。そして、常にそうした内なる知識が自分自身を正しい方向に導いてくれることに気づきました。
1928年はバッチにとって記念すべき年となりました。なぜなら新しい仕事に出会ったからです。
研究室での実験など普段の仕事から離れられるときには、彼は、薬草となる植物を探すことに時間を費やしました。7つのバクテリア・ノソードの代用にしようと考えたからです。毎日のように田園地帯や海辺、公園などからたくさんの標本を持ち帰り、実験をしましたが、バクテリア・ノソードの成果と比べて、十分に満足できる結果を得るものがありませんでした。彼はその理由について深く考えました。真のヒーリングの媒体となるものは自然界の木々や植物にあることを確信していたため、彼は病気そのものについて、その原理と心身への影響についての理解を深めることに注意を向けました。
そんなある日、ある晩餐会の席で、問題の答えが得られたのでした。
バッチは、気が進まない晩餐会に出席し、その場であまり楽しむことができずにいました。時間潰しにそれとなく周囲の人々を眺めていたとき、彼は、人がいくつかの明確なタイプをもつ集団に分類できることに気づきました。晩餐会の会場にいるすべての人が、そのどれかの集団に属していました。そこで、彼は、人々の食事のしかたや笑い方、手や首の動かし方、体の姿勢、顔の表情、声の使い方などをよく観察しながら、残る時間を過ごしました。
ある人々には、まるで同じ家族に属しているかのような類似性がありましたが、もちろん血縁関係はありません。
バッチは、このことに夢中になり、食事が終わった頃にはいくつかの集団に分類し終え、それを7つのバクテリア・グループと比較することで頭はいっぱいでした。すでに集団の数は7つを越えていて、もっと慎重に研究を進めれば、その数はさらに増えるに違いないと確信しました。また、各グループの人々は、同じ種類の病にかかることはなくとも、ひとりひとりは同じ方法、あるいはほぼ同じ方法によって、どのような病にも反作用を起こす、というインスピレーションが湧いてきました。
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バッチフラワーカウンセル
自分が直観によって長年培ってきたある原理を科学的に証明しました。それは、患者の気性が、必要な治療を表示する最も重要な要素である、という原理です。ワクチンはこのようにして、局部の症状が消失してしまうほどに、患者の全身の状態を改めたのです。
その後、彼は、フラワーレメディを通して、患者を気分の良くない状態から気分のよい状態に引き戻すことが治療の引き金になることを知ります。
ノソードとその経口投与法の成功にも関わらず、バッチは、七大バッチ・ノソードが一領域の病を代表するものでしかなく、それだけですべての慢性病を治療できるわけではないことを実感していました。また、使われている薬の性質にも満足することができずにいました。病気の産物(ワクチンとして使われている腸内微生物)をより純粋な薬に代えたいという気持ちが常に心の中にあり、将来の自分の仕事をこの目的に向けることを彼は決意しました。
彼は、自然界の植物や野草の中に新しい薬を発見する仕事に入りました。そして、バクテリア・グループと類似する効果をもつ植物を幾つか見つけますが、実験を重ねた結果、何かが欠けていてバクテリア・ノソードにみるような有益な結果が得られないことに気づきました。
1928年、42歳のとき、ロンドンの英国同種療法(ホメオパシー)学会の講演で、彼はこのことに触れました。「乾癬の再発見」と題するこの論文は、1929年1月号の『英国同種療法(ホメオパシー)ジャーナル』に投載されましたが、それは重要な意義をおびたものでした。その中で、彼は新しいより優れた薬を今後二、三年以内に発見し完成するとの公式声明を初めて出したからです。
これとの関連で次の抜粋文はとても重要であると思われます。
「7つのバクテリアグループの代わりに7つの野草を提供できればと私は願っています。なぜなら、病に関係するものを症状の治療に使うということに多くの人が多少とも違和感を覚えているように見受けられるからです」
同じ講演の中で、彼はハーネマンについてこう述べました。
「彼は文明をおおう状況が変化するたびに新しい病が起きてくるため、新しい薬を探す必要があるとみていました。この天才は、起こりうるすべての病に対処するだけの数限りない薬が、自然界の中に発見できる、という事実も理解していたのです」
この年に、バッチは、7大ノソードの代用となる38種のフラワーレメディのうち3つまでを発見しました。これらのレメディはすべて病を癒し、起こり得るあらゆる症状に対応し得るものでした。病ではなく患者の気性または気分を治療することによって、彼は最終的に病気の種類や性格、名称などがほとんど意味を成さないことを知ったからです。
彼はある講演でこうも語っています。
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1928年はバッチにとって記念すべき年となりました。なぜなら新しい仕事に出会ったからです。
研究室での実験など普段の仕事から離れられるときには、彼は、薬草となる植物を探すことに時間を費やしました。7つのバクテリア・ノソードの代用にしようと考えたからです。毎日のように田園地帯や海辺、公園などからたくさんの標本を持ち帰り、実験をしましたが、バクテリア・ノソードの成果と比べて、十分に満足できる結果を得るものがありませんでした。彼はその理由について深く考えました。真のヒーリングの媒体となるものは自然界の木々や植物にあることを確信していたため、彼は病気そのものについて、その原理と心身への影響についての理解を深めることに注意を向けました。
そんなある日、ある晩餐会の席で、問題の答えが得られたのでした。
バッチは、気が進まない晩餐会に出席し、その場であまり楽しむことができずにいました。時間潰しにそれとなく周囲の人々を眺めていたとき、彼は、人がいくつかの明確なタイプをもつ集団に分類できることに気づきました。晩餐会の会場にいるすべての人が、そのどれかの集団に属していました。そこで、彼は、人々の食事のしかたや笑い方、手や首の動かし方、体の姿勢、顔の表情、声の使い方などをよく観察しながら、残る時間を過ごしました。
ある人々には、まるで同じ家族に属しているかのような類似性がありましたが、もちろん血縁関係はありません。
バッチは、このことに夢中になり、食事が終わった頃にはいくつかの集団に分類し終え、それを7つのバクテリア・グループと比較することで頭はいっぱいでした。すでに集団の数は7つを越えていて、もっと慎重に研究を進めれば、その数はさらに増えるに違いないと確信しました。また、各グループの人々は、同じ種類の病にかかることはなくとも、ひとりひとりは同じ方法、あるいはほぼ同じ方法によって、どのような病にも反作用を起こす、というインスピレーションが湧いてきました。
それ以後、彼のもとを訪れる患者たちは、ひとりひとり精密に調べられるようになりました。性格、特徴、雰囲気、病気に対する反応の仕方、仕草、些細な習慣のひとつひとつにまで注意が払われ、すでにある薬をこうした指標に応じて処方しました。この治療の成果は非常に素晴らしく、彼はここからもあらためて、自分の直感が正しい方向に働いていることを確信しました。それはハーネマンの原理を広げたもので、それまで実施してきたどのような方法よりも理想に近いものでした。
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自分が直観によって長年培ってきたある原理を科学的に証明しました。それは、患者の気性が、必要な治療を表示する最も重要な要素である、という原理です。ワクチンはこのようにして、局部の症状が消失してしまうほどに、患者の全身の状態を改めたのです。
その後、彼は、フラワーレメディを通して、患者を気分の良くない状態から気分のよい状態に引き戻すことが治療の引き金になることを知ります。
ノソードとその経口投与法の成功にも関わらず、バッチは、七大バッチ・ノソードが一領域の病を代表するものでしかなく、それだけですべての慢性病を治療できるわけではないことを実感していました。また、使われている薬の性質にも満足することができずにいました。病気の産物(ワクチンとして使われている腸内微生物)をより純粋な薬に代えたいという気持ちが常に心の中にあり、将来の自分の仕事をこの目的に向けることを彼は決意しました。
彼は、自然界の植物や野草の中に新しい薬を発見する仕事に入りました。そして、バクテリア・グループと類似する効果をもつ植物を幾つか見つけますが、実験を重ねた結果、何かが欠けていてバクテリア・ノソードにみるような有益な結果が得られないことに気づきました。
1928年、42歳のとき、ロンドンの英国同種療法(ホメオパシー)学会の講演で、彼はこのことに触れました。「乾癬の再発見」と題するこの論文は、1929年1月号の『英国同種療法(ホメオパシー)ジャーナル』に投載されましたが、それは重要な意義をおびたものでした。その中で、彼は新しいより優れた薬を今後二、三年以内に発見し完成するとの公式声明を初めて出したからです。
これとの関連で次の抜粋文はとても重要であると思われます。
「7つのバクテリアグループの代わりに7つの野草を提供できればと私は願っています。なぜなら、病に関係するものを症状の治療に使うということに多くの人が多少とも違和感を覚えているように見受けられるからです」
同じ講演の中で、彼はハーネマンについてこう述べました。
「彼は文明をおおう状況が変化するたびに新しい病が起きてくるため、新しい薬を探す必要があるとみていました。この天才は、起こりうるすべての病に対処するだけの数限りない薬が、自然界の中に発見できる、という事実も理解していたのです」
この年に、バッチは、7大ノソードの代用となる38種のフラワーレメディのうち3つまでを発見しました。これらのレメディはすべて病を癒し、起こり得るあらゆる症状に対応し得るものでした。病ではなく患者の気性または気分を治療することによって、彼は最終的に病気の種類や性格、名称などがほとんど意味を成さないことを知ったからです。
彼はある講演でこうも語っています。
「私たちはバクテリア・ノソードを植物に代用しようとあらゆる努力を払っています。現にそのいくつかをほぼ正確に特定しました。例えば、オルニソルガムの波動はモルガン・グループとほぼ同じでありますし、赤痢菌類の特性をほとんどすべてもつ海草も発見しています。しかし、何かが欠けているのです。その何かが、バクテリア・ノソードを放棄することを思い留まらせているのです。この大切な点は極性です。自然界の薬は相乗させると陽の極を持ちます。病気に関するものは、その逆の極性なのです。そして、今の段階では、この逆の極性がバクテリア・ノソードによって得られる成果に不可欠な要素のように思えるのです。おそらく近い将来、新しい相乗法を開発できると思います」
彼がこの新しい相乗法を発見したのは二年後のことで、これによって極性の問題は完全に除かれることになりました。
彼がこの新しい相乗法を発見したのは二年後のことで、これによって極性の問題は完全に除かれることになりました。
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