エドワード・バッチは、多面的な性格の持ち主でした。幼い頃から独立心のある積極的な子どもだった彼は、素晴らしいユーモアのセンスを持ち合わせていましたが、ときどき静かな瞑想的な性格になり、一人だけで田舎を放浪し、一度に何時間ものあいだ、遠くの草に覆われた土手や巨木の樹皮を見つめていることがありました。

人であれ、野鳥であれ、苦しんでいるどんな生き物も、彼の中に強い同情の気持ちを呼び起こし、その苦しみを取ってあげたいという願いが、のちに彼を医者の道に進ませることになります。このような他者に対する圧倒的な同情の気持ちは、彼らの苦しみを深く理解させるものであり、彼のもっとも感動を呼ぶ資質の一つでもありました。彼が出会う誰からも愛されたのは、この資質によるものです。

木と鳥


彼は教室の中で居眠りして、自分が仕事を始めるときのことを夢みることがよくありました。あらゆる種類の病を癒せる簡単な治療法を発見している自分をよく夢に見ました。また、自分の手から癒しのパワーが流れ出て、彼に触れる誰をも癒してしまうのを度々夢に見ました。このような夢は単なる子どもの想像力によるものではありません。内なる自分が未来に起きることを知っていたために現れたものなのです。なぜなら、彼はのちに野の花の中にかくも単純な治療薬を見出し、後年には自分に人を癒す力が備わっていることを発見することになるからです。彼の手に触れて癒された病人は数え切れません。

すべての病を癒す単純な方法を発見するという彼の理想はその後も決して離れることがなく、成長するにつけ理想は確信となり、一生の仕事を陰で支える原動力となりました。病理学者、細菌学者、同種療法医として開業していた頃に彼の目指していたものは、確実な治療を生み出せずにいる複雑な科学的手段に代わる、単純な治療形態、純粋な薬を発見することにあったのです。

しかし、少年としてのエドワード・バッチは単なる夢想家ではありませんでした。彼の確信、目的意識の強さ、あらゆることに向けられる関心は、それがどれほど小さなものであっても、一つになって偉大な天才の性格を形成しました。とはいえ、どの天才にも見られるように、彼は孤独になる宿命を背負っていました。初めから自分の一生の仕事を知っていて、その大いなる目的を何者にも邪魔させない彼のような人間を理解できる人は、ほとんどいなかったからです。

彼の人生には二つの大きな関心事がありました。一つは、それが人であれ、鳥や獣であれ、苦しむすべてのものに対する絶大なる憐みの情、そして自然界とそこに生える木々や植物をこよなく愛する気持ちです。この二つが一つになって、探し求める癒しの知識へと彼を誘ったのでした。一つの愛がもう一つの愛を助けました。なぜなら、彼は大自然という宝庫の中に、病に冒され苦痛に喘ぐすべての人を癒せる野花を発見したからです。

少年


Bach Flower Counsel
バッチフラワーカウンセル
英国バッチセンター