1934年3月のある日、エドワード・バッチは、滞在していたクローマーを出発し、自然豊かで静かな場所を求めて、イングランドの南部、サセックス州、ケント州、バッキンガムシャー州などを放浪したあと、テムズ川の流域に戻りました。そして美しい景色が広がる谷間、バークシャー州ウォリンフォード近郊にあるソツウェル村で、農家の空き家だった小さなコテージを手に入れました。マウント・バーノンと呼ばれるこの簡素な家は、現在、英国バッチセンターの拠点となっています。

エドワード・バッチの晩年の住み家
マウント・バーノン
英国バッチセンター


小さなコテージを手に入れたバッチは、翌月の4月から正式に移り住み、いくつかの家具を手に入れたあと、所持金は底を尽いてしまいました。しかしバッチは、未来をわくわくする冒険のようにとらえていましたので、お金がないことに一抹の不安も感じていませんでした。

バッチは身の回りの荷物を解いて間もなく、道を縁どる生垣の下に、7人の助け手(Seven Helpers)の7番目のお花(7つの助け手の最後のお花)となるワイルドオート(野生カラス麦)を発見しました。道行く人が気にも留めずにそばを通り過ぎてしまうようなほっそりとした植物は、鳥や虫、花の愛好家の注意を惹くような色や形、香りをもたず、垂れ下がっている花序(かじょ)の先に小さく目立たない花が集まって穂をなしているものです。バッチはこの小さな花を水盤いっぱいに浮かべ、暖かい5月の太陽のもとにさらしました。そうすると、未来のヴィジョンが見えないことから自分の生きる目的や日々の目標が見いだせずにいる人、いろいろな能力や特技を持っているにも関わらず、それをどうやって活かしたらよいかわからない人、使命感がわからないことから生きている満足感が得られない人のためのレメディだとわかりました。

1934年の夏の初めに、バッチは患者たちと会うために、週一回ロンドンに出かけました。しかし、街の騒音と雑踏は相変わらず彼の心身を苦しめて消耗させたため、彼はソツウェルに留まり、そこを仕事の拠点とする決意を固めました。そして新居で静かに暮らしながら、『12人の癒し手と7人の助け手』(The Twelve Healers and Seven Helpers)というタイトルの二作目の本を執筆し、その年の7月に出版されました。この本は、最初に見つけた12種類のお花の他に、ゴース、オーク、ヘザー、ロックウォーター、オリーブ、バイン、ワイルドオートの7種類のお花について解説したものです。

助手の一人が、バッチの仕事に使う専用の家「ウェルスプリングス」(水源の意)を提供したのはこの頃のことです。これは同じソツウェルの村にある古い家で、天上にはオーク材の梁が使われ、広い暖炉があり、大きな庭に囲まれ、その向こうには果樹園と原野が広がっていました。バッチは暇を見つけては家具作りに励み、マウントバーノンの家にも家具を据えつけました。彼はこれと松の材木から独自のデザインでテーブルやタンス、イスやベッドを作りました。ほとんどの家具に木製の釘が使われ、クルミの汁で塗装を施しました。

19種類のフラワーレメディの最後のお花を発見したあと、自分の仕事も終わりにきていると感じましたが、まだ網羅されていない心理状態に必要なレメディがあると考えました。


Bach Flower Counsel
バッチフラワーカウンセル
英国バッチセンター